悩める元理系大学院生の歩み

理系大学院に所属していた筆者が日々感じた事を語る。想いを共有するブログ また日々感じた事を書き留め、議題について様々な人と意見を交換したいと考えています。

心の物足りなさ(充足感を得る為には)

心のものたりなさとは、どうすれば解決できるのだろうか

物欲?

 

 

 

 

ものたりなさを感じる。精神的な充実とは何なのだろう。

 

欲を満たす事で満足する。

今自分にないものを手に入れる。

また新たに欲しいものが現れる。

満足する豚、満足しない人間とはよく言ったものか。

 

欲しいもの

それは重圧からの解放である。

心の解放である。

 

今苦しいほど、開放の喜びは大きく大きく

胸いっぱい、お腹いっぱいに膨れ上がる。

解放の時をまとうではないか。

 

時が全てを解決してくれるとは

よく言えた言葉である。と感じる。

修士の学生の文章力なのかと

恥ずかしい思いを今抱きながら執筆している。

 

続ければ文章力も伸びるのではないかと期待する。

 

 

私は勉強は嫌いじゃない。

新しいテクノロジーや思想、解決手法を学ぶ事は大変好きだ。

ただそれを基に何かアウトプットをする行為が求められるのが

大学院の研究である。

 

今更であるが、それを身をもって実感している。

ただ真面目にやるだけではだめなのである。

時間と成果が比例しない世界でもある。

3年間で理不尽な経験もした。

人と比較する事は何の役にも立たない。

事が一番の勉強した点であるかもしれない。

 

あと信頼こそが世の中を回している。

信頼(義理)はやくざやマフィアの世界だけでない(私はアメリカンギャング映画が好きだ)

 

義理はあっても

信頼は得られないというのがマフィア世界と異なる理不尽な点の一つかもしれない。

 

ただ、その点を気付かせて頂いた

点を感謝したいと思う。

 

他の人と比較しても仕方ないと言いつつ

書かせていただくが、

 

適当に毎日を生活していて、信頼の貯金や先輩の残したデータ貯金で

生きている(私より信頼されえている)人よりも

深い、まっとうな人間に成長していると感じる。

なぜか。

自分を見つめなおす機会を得たからだ。

彼らはその機会を逃してしまった。貴重な体験をみすみす見送った。

 

ただ悔しい。

なぜ、差別がこの世の中にあるのか

 

努力と評価は結び付かないという

現実に憤りを感じる。

 

頑張る人は救われるべきである。

競争社会とは成果主義である。

 

悔しい。

ひどい。

 

ずるい。

 

ふざけるな。

誰か誰でもいいから認めてほしい。

ひとはある程度誰かに受け入れてもらえなければ

鬱になってしまう。

 

あと半年信頼の回復はもう望めないだろうし

すがりついて生きていく。

時間が全てをつれさってくれる。

 

 

自分は努力して、もがいて

陰で(このブログで)愚痴を書き込み、寝ようと思う。